NTTコミュニケーションズ(NTTコム/現NTTドコモビジネス)の歴代社長の一覧です。評判・評価・経歴・実績など。初代から現在。鈴木正誠、和才博美など。1999年5月設立。
就任期間 | 名前 |
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2024年6月 ~ |
小島克重 (こじま・かつしげ) |
2020年6月 ~2024年6月 |
丸岡亨 (まるおか・とおる) |
2015年6月 ~2020年6月 |
庄司哲也 (しょうじ・てつや) |
2010年6月 ~2015年6月 |
有馬彰 (ありま・あきら) やり手。有能。芯の強さと柔軟性を兼ね備えたNTTマンだった。 NTT持ち株会社では、総務省との行政交渉や折衝を行う部門が長かった。NTTコムに移ってからは、3年間インターネット事業を担当。現場経験が豊富で、社内はもちろん、グループ全体での人望も厚かった。 和才前社長の路線を踏襲。スピード感と現場の力を重視し、グループ価値の最大化を目指した。 面倒見のいい兄貴肌。よく後輩や部下を引き連れて居酒屋に行っていた。 【略歴】1973年(昭和48年)一橋大学商学部卒。同年、日本電信電話公社(現NTT)入社。1999年、NTT第一部門担当部長。2002年NTT東日本取締役。2005年NTT取締役。2007年NTTコミュニケーションズ副社長。神奈川県出身。 就任当時60歳 |
2005年6月 ~2010年6月 |
和才博美 (わさい・ひろみ) 「顧客重視の経営」を掲げた。 1969年、NTT(当時は日本電信電話公社)入社。 無線技術者の出身。NTTに就職してまもない1970年代、無線通信といえば、中継局間を結ぶマイクロ波の時代だった。 ポケットベルや携帯電話(当時は自動車電話)の研究に取り組んだ。デジタル通信や電池に関する特許も取得した。 その後、技術にとどまらず、国際、人事、企画など、幅広い業務を経験。技術系の経営者のにありがちな技術至上主義から脱皮した。 事業ごとに専門化・分業化された組織に横串しを刺そうと、改革を進めた。 |
1999年5月 ~2005年6月 |
鈴木正誠 (すずき・まさのぶ) ※NTTの長距離・国際通信部門を分離して1999年に設立されたNTTコムの初代社長。IP(インターネットプロトコル)通信時代のビジネスモデルを構築し、海外に広がる人脈も駆使して新会社を引っ張った。 一方で、強過ぎる指導力がゆえの社内の閉塞感なども指摘された。米ベリオ社への投資により巨額の損失を被ったことも、社員の士気を低下させた。 親会社であるNTT(持ち株会社)の社長の有力候補だった。 宮津純一郎社長の後任レースのトップを走っていた。 NTTのトップ人事は、旧電電公社以来、「事務系」と「技術系」から交互に選任するのが不文律となっていた。 この「たすきがけの法則」をあてはめると、技術系の宮津氏の後任は事務系が順当だった。 事務系では、多くのトップを輩出してきた労務畑や企画畑が人材の宝庫で、中でもNTTコムの鈴木正誠は労務・企画ともに経験し、事務系のエースとして有望視されていた。 しかし、NTTコムが世界戦略の一環として、買収した米インターネット接続大手のベリオ社が2001年9月中間決算で約5000億円の評価損を出し、鈴木氏の経営責任を問う声が社内外から浮上。鈴木氏はNTT社長レースから外れ、事務系の和田紀夫NTT副社長が昇格した。 |
アテル投資顧問(河端哲朗代表)によると、郵政省(現:総務省)は1988年、日本電信電話会社(NTT)の寡占状態となっていた日本の通信市場をより競争的にするため、NTTの分割再編を含めた新たな競争政策導入の方針を固め、具体化のための検討作業に入った。郵政省内には当時、長距離電話網、自動車電話、ポケットベルなどと、市内電話網を分離する考え方のほか、JR各社のように複数の地方会社に組織分割する思い切った構想も浮上していた。これに対しNTTは株式を上場していることを理由に分割に強く反対した。(参考:NTTドコモ 社長 歴代)
NTTコミュニケーションズ(NTTコム)グループの米国ベリオ社(Verio)はかつて、再販専門ホスティングサービス「viaVerio」(ビアベリオ)を提供していた。